追記ー照葉樹林に魅せられて

祖母の命日であっても、一回忌は済んでいるので多くの来客はないと
見込んで、撮影に出かけた。おかげで羽生くんのリアルタイムの金メダルは逃した。

栃木県益子町のあるお寺の、裏手から山に入ると、照葉樹林が続く山道になる。
照葉樹林の撮影に関しては、以前から魅力を感じていた。
新緑も、感じるのは大変好きだが、撮影するには年中楽しめる。
悪く言えば季節感がない。

鬱蒼としていて、ごちゃごちゃ適当な木々が、不規則に雑然とならぶ。
それでも、規則性や主役を見つけるべく、写真としての眼を研ぎ澄ます。
たいへん難しい作業だが、逆を言えば、見つけたらうれしいものだ。
花や、虫、鳥など被写体が明確であればなおのこと山は楽しいだろうけれど、
風景となればその不規則と雑然のなかに見出せるのもがあれば、
大げさに言えばそれはそれで、私の
審美眼が試されているようで面白い。人の踏んだ足は残っているものの、
基本的には整備はされていないので、古来からの姿のままと感じている。

昔から緑色が好きだ。
油絵をしていたときも、緑をベースに描き始めたものだ。

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風景と言わなければ、そこに何か小動物でもいるかのような写真に見えるのが
まだ未熟な点だろう。何度も足しげく通いたい場所です。




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# by kyouji19800920 | 2018-02-17 17:51

命日

今日は祖母の命日。ちょうど去年の午後、
今日でいうと羽生くんが金メダルで騒いでいたころの時間帯だっただろうか、
訃報をうけた。
覚悟はできていたので、動じなかった。来る時が来たのだというくらい。
子育てに追われているさ中だと、少し鈍感力がつくのか、
後を追うように、16年飼っていた愛犬も亡くなったことに、
たいして寂しさを感じることがなかった。

今朝、朝一番にお線香をあげ、合掌。
それでも、時々、気づいたときはお仏壇に合掌するようにしているし、
檀家であるお寺などにも、時折、お参りする。

玄関前の梅の古木に花が咲いたことに、
今日気が付いた。

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感慨深く想えば、祖母の命日に咲いてくれた新たな息吹。
命は繰り返すよりも、ほかの何かに変わるような感覚に、自分はいる。

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# by kyouji19800920 | 2018-02-17 17:25

「バツイチで、親権は嫁」

言いたいことも言わず仮面夫婦をしてる家族と、本音を気のすむまで
言い合って傷つけあって常にストレスフルでも一緒にいる家族とでは
どちらが幸せか。

しらんがな。


こんな記事を見た。

孤独死したバツイチ40代男の最期 
横には娘からの手紙が「パパおたんじょうびおめでとう」



私として、すごく胸に突き刺さった記事。
「バツイチ」とか口悪い言い方で捉えようによっては・・・という感は否めないが。
それでも”娘からの手紙を励みに生きていけばいいだろう”とか、とにかく
自分の第二の人生を送ればいいと思う人もいる。

しかし、おそらくはこの人も確かに家族団らんで幸せだった頃があり
その光景をよぎるたびに身を裂かれる想いだったのではないか。
その光景と言ったが、その光景、その光景・・・
どこに行ってもわが子と同じ年頃の子どもや親子連れを見れば、
おそらくは自分に置き換えることはする。ましてや
娘からの手紙、手を伸ばせばすぐそこに掴めそうな温もりが、はるか遠い場所に
いるような孤独。ただの失恋とも違う。
愛という綺麗ごとだけでは家族は築けない事情もあっただろう。

それでも戻れない、生きがいを失い、自分を大切にすることなく、
自暴自棄になる。

「バツイチで、親権は嫁」って、たったそれだけのワードが
当たり前に存在している。みんなどうやって生きていけるのか
不思議で、嫌みなく、本気で知りたい。

みんな前向いて生きてるんじゃないっすか?
バリバリ仕事して、ひとり高級車乗り回したり
好きな時に飲みに行けばいいんじゃないっすか?
ほかに女作ればいいんじゃないっすか?
女つくる自信ないっすか?紹介しますよ?
金貯めて好きな時に海外旅行とか行けちゃいますよ?
一人でしかできないこといっぱいあるじゃないっすか?
自分で稼いだ金、自分のために使っちゃいましょうよ?
んなん、辛いの今だけでしょ?やらないだけっすよ?

言いようによってはいくらでも自慰はできるね。
気分よく飲んだあとに酔いが冷めたときのように、
現実に引き戻された反動のほうがはるかに怖いよ。
______

嫁と娘と離れて暮らすようになり、
不思議なことが起こっている。

例えば、カメラが動かなくなっても、
大雪で車がスリップしても、
とにかく、身近に何か不具合が起こるようなことでも、
たいして動じなくなった。

大切なカメラ壊れたり車が事故ったりすることくらい、
離婚するようなレベルと比べたら
はるかにどうでもいい感覚になっていた自分。

しかし、覚悟は必要だ。
どっちの道に行くにせよ。

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# by kyouji19800920 | 2018-02-11 16:19

当たり前の幸せ

2018.2.8

妻と娘のところから別居して5か月になる。
その間、笑えた記憶がない。

TVに出る人は、みな愛し合っていた。
愛し合えるってどんなものかを忘れている。
家族ひとつになって愛し合う人たちが
まるで宇宙人かなにかの別の生き物のように写る。

自分に似た不幸な人を探しているのだろうか。
たぶんそうだ。

それでも、何時間テレビをつけても、DVDを見ても、
自分には縁のない宇宙人がいた。

彼らを見て希望を持つ、それを生きる糧にしようと
思ってみたけれど、やはり宇宙人は宇宙人だった。

宇宙人が当たり前のように世界に広がっているのだから
彼らから見たら、私が宇宙人なのだろう。
孤独に思えてきた。

なぜ当たり前ができないのか、皆当たり前に笑えているのか。愛し合っているのか。
そう思うほど自分が惨めに思えてくる。

昔の自分ならそう、一人孤独と悲しみに暮れていただろう。
けれど今は少しだけ違う。少しだけ。

寧ろ、当たり前とか、普通の生活というものが
「理想」と呼ぶべきものなのであって、
それらを保つために皆、懸命に切磋琢磨しているのだ。

テレビほど現実は美しくない、それは
むしろ私だけが感じることではないではないか。


_____

祖母の一回忌を終えたころ、ちょうど福寿草が咲いた。
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祖母が育てていて、私も毎年楽しみにしていた。
祖母と一緒に、今年も咲いたと微笑んでいた。

福寿草・・・「福」って言葉に弱い。

______

福寿草だけではない。
祖母が亡くなって、いろいろと哀愁にふける。改めて
我が家の歴史を感じるようになってきた。

玄関の目の前には、梅の古木がある。
96で亡くなった祖母がこの実家に嫁いだ時からあったというから
少なくとも80年は立っているだろうか。
私の記憶では30年前までは亡き祖父母が二人で、成った梅を棒で
落として拾い集めていた。

黙っていれば朽ち果てるのは簡単だろう。
いまでは縄で縛ったり、支え木がないと倒木寸前の古木だ。

それでも咲かそうと、蕾は今年も膨らんでいる。

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「ただ生きてる」というより、生かされているし、
生きようとしているのだろうと思った。
黙って立っていればただ朽ちる。

自分自身がそこに根を下ろし、
誰かの支えがあっても生きようとする。

人間であっても同じではないか。

不幸を背負って、ただ黙って立って幸福を待ち生きるだけでは、朽ちる。
それはもう、生きているようで死んでいる。

本来は、生かされながら生きようとすること、そうして
初めて花を咲かせることができる。


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# by kyouji19800920 | 2018-02-08 15:51

一回忌にて思う

いままで写真しかあげてこなかったが、思うことがあり
ここに記す。(2018・2・4)

昨年の2月17日、祖母が亡くなった。95歳だった。
大往生といえるだろうか。
今日はその一回忌であった。

大正10年の2月の初頭が誕生日らしいが、本当は前年の秋口の生まれらしい。
昔のことだからそのあたりの事情はよくわからない。
昨年の今頃かもっと前に、昼間に突然、
頭痛と吐き気を、私の母にうったえて、そのまま意識はなくなった。
くも膜下出血だった。その時点では、救急搬送先の医師からは
もってあと2時間と言われていたが
結局のところ数週間は持ちこたえた。

何度めかのお見舞いで、私が握った手をはじめて握り返し、周りを驚かせた。

最期を聞かされたときのことはよく覚えていない。たぶん、心の準備は
できていたのだろう、動じた記憶もない。

葬儀も告別式も滞りなく済んだ。
頑固で見栄っ張りの父の施主のスピーチはうんざりだったが、
たぶん一番悲しんだのは父だっただろう。
最期はこうでした、ああでしたという同じ内容を何度か繰り返していた。

でもさ、欲をかいていえば、
俺が知りたいのはそうじゃなかったんだ。
祖母が親父の知る限り、どんな生き方をしてどんな愛情注いで
親父たちが育てられたか、祖母の生きたの軌跡を知りたかったよ。

______

祖母は存命のときも、自分の昔の話は私にもしなかった。
ちなみに内孫で一番祖母に愛着があったのは私だったと自負している。

いつも聞かされていたのは
宇都宮空襲で20km以上離れた我が家でも夜空が真っ赤になったのを
覚えているとか、ありきたりな内容だった。
もしかすると昔の話は好きでなかったのかもしれない。
私の父が長男だが、その上に長女がいた。その長女が5歳になった頃に
自宅の池に溺れて亡くなっている歴史がある。昔の農家のことだから、今のように
容易につきっきりで子守ができる時代でもなかったらしい。

その分、私の母は、姑である祖母の話はよく知っている。
昔東京で女中をしていたとか、どこかの妾だったとか、どこにも嫁に出せるような人じゃなかったから祖父と一緒になった、とか、それでも時系列がわからずよくわからない。団塊世代の嫁姑の関係だから
母にとっての祖母は、尋常ではない苦労をかけさせた人としての認識しかない。

_________

私が覚えている祖母は、記憶があるころから、
腰が鋭角に近いほどに曲がっていて、歩く姿は鳥類にも見えた。
夏になれば平気で上半身裸で庭先を歩いて、
来客の郵便屋さんやその他の人たちの目のやり場に困らせていた。

お客が家に来るたび、ひざをついて床を舐めるほどのおじぎをしていた。
女中の名残かと勝手に判断していた。
昔は押し売りの業者がきてもなかなか断りに出られず、
あるときは反物の業者をその気にさせておきながら、買うのを拒んだら
「ガキの使いで来てるんんじゃねぇんだ!」と業者を逆上させたこともあるらしい。

私が大学生のこと。
上京して半年になった頃、私は田舎人が都会に染まろうと背伸びをして
赤茶に染髪をしたことがあった。その頭で帰省し、
それを見て祖母はえらく落胆したらしく、最近まで
そのことだけは話してくれていた。

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それでも、先に逝った祖父よりも、
祖母に思い入れがあった自分の心境はよくわからない。
写真を撮られるのは嫌いではないらしく、私が趣味として始めた写真に、
特に抵抗なく被写体になってくれたからたくさん写真を残せた。
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Bronica S2 (自宅にて)

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祖母の生まれは、我が家から山をひとつ隔てた集落の片隅にある。

今日、私のただの哀愁からか、祖母の実家周辺をくまなく歩いた。
祖母が通った小学校ももう廃校になっている。それでも建物自体は現存はしているが
当然祖母が通っていた時代からは何回も建て直されている。

祖母が見ていたであろう景色を、私は今あるままに写真におさめたくなった。
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              祖母の実家そばにて                          
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旧上稲毛田小学校周辺にて
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それでも今と昔とで、変わらないものを探すほうが無理である。
どんな田舎でもそれは同じだ。90数年の歴史そのままを、写し残すことは教育委員会の郷土資料に任せて、

私は、祖母と同じ空間の、違う時間の、同じ空気を吸いたかった。




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# by kyouji19800920 | 2018-02-04 17:37